あなたにとっての宇野系らんちゅうの魅力ってなんですか?
面かぶりや腰白など、鮮やかな赤と白に染め分けられた色柄の美しさですか?
それとも、獅子頭や兜巾頭などの肉瘤の美しさ?
あるいは優雅な泳ぎ?尾形?
いやいや、見た目だけじゃなくて、血統を意識したブリーディングが面白いんだ。とおっしゃる方も多いかもしれませんね。(瘤太郎もこのタイプです)
瘤太郎は、偉大な先達である宇野仁松氏が遺された血統が、数十年の時を経て、様々なスタイルで愛されていることこそが宇野系らんちゅうの魅力だと考えています。
逆に、瘤太郎は、「宇野氏の魚」がどういったものだったのかについては、あまりこだわっていません。
何故かと言うと、もう今となっては、宇野氏の魚のことを体系的に調べていくのは無理だと考えているからです。
宇野氏の魚だといわれる写真が何枚か残っているようですが、その何枚かの写真が宇野氏の魚の全てを語っているとは思えません。
宇野氏だって、色々なタイプを楽しまれておられた可能性がありますよね。
年代によって飼っておられたらんちゅうのタイプが違っていた可能性だってあります。
今、残っている写真は、ある一瞬の「記録」でしか無いと思うんです。
宇野氏と交流のあった方が、それぞれに思い出話の内容が違うのも、そういう背景があってこそなのではないでしょうか。
宇野氏が、らんちゅうを極めた方なのであれば、1つのタイプに固執したのではなく、色々なタイプを育ててみた中で、らんちゅうの軸やバリエーションを見出して行かれたのではないでしょうか。
だからこそ、沢山の人に慕われたのではないのでしょうか...
もし、そうなのであれば、その「色々なタイプのらんちゅうから見出した軸やバリエーションを体系的に書き残したもの」が見つからない限り、 宇野氏の魚を整理をすることは無理だと考えています。
でも... だからこそ、今、多様に広がって楽しまれている宇野系らんちゅうを見ながら、氏と同じように「自分なりの軸やバリエーション」を見つけていくことが楽しいのではないでしょうか?
この楽しみがあるから、宇野系らんちゅうを特別ならんちゅうとして魅了される方が多いのではないでしょうか。
私が宇野氏について考えているのは、それだけです。
本当は、「宇野系」って何?と聞かれても明確な定義ができないから、 このブログでは「宇野系」という言葉は使いたくなかったんです。
だけど、ネット検索などのことを考えると「宇野系」というキーワードを使わざるを得ないので、使わせていただいています。
その辺りの心情をお汲み取りいただければと思っています。
●宇野系らんちゅうのスタンダードとは?
さて、話をこの記事のテーマに戻したいのですが、「様々なタイプとして楽しまれていることこそが宇野系らんちゅうの魅力」と考えた場合、宇野系らんちゅうのスタンダードって何なのでしょうか?
答えは簡単...
「宇野系らんちゅうのスタンダードを1匹の魚で定義することはできない」
それが答えなんじゃないでしょうか。
あえて、今、各地で楽しまれている様々な宇野系らんちゅうに共通する「スタンダード」を考えるなら...
「多様な魅力を追求する」
ということぐらいでしょうか。
そうなると、見た目のスタンダードというより考え方のようなものになっちゃいますね。
それぐらい、宇野系らんちゅうというのは、見た目に関しては多様であると思っています。
例えば、色柄については、猩々、素赤、腰白、面かぶり、黄頭など多様な模様があり、ベタ赤のヒレを上とするといったようなマニアックな楽しみ方もありますよね。
肉瘤は、まったく出てないのはさすがに宇野系としてはNGだと思いますが、オカメタイプは兜巾を持ちえませんし、兜巾タイプの吻端は控えめです。
吻端がなければダメとか兜巾がなければダメというものでも無いように思います。
「獅子頭らんちゅう」 ですから、「獅子頭が基本」ということはできると思いますが、それだけだと宇野系の多様性は半減しちゃいますよね。
獅子頭としてはどう、オカメ頭としてはどう、兜巾頭としてはどうというように、考えるほうがよさそうです。
胴のつくりも、長手もあれば丸手もあり、峰を気にしない系統(というよりも峰の立つ華奢な感じを魅力的とする系統)、峰を嫌う系統など相反する要素もあります。
尾形にしても、小さく可愛い尾が良いという系統もあれば、前掛かりが効いて張りの良い尾が上という系統もあります。
このように、見た目(表現型)に関しては、「これが宇野系」と決めることはできない状況です。
共通しているのは、らんちゅうの多様な魅力に幅広く目を向け、それぞれの要素をより良く改良していくことだと思います。
で...
上の文章に出てきた「それぞれの要素をより良く改良していく」ための「それぞれの基準」が、宇野系らんちゅうのスタンダードになりうるものなのだろうと思います。
オカメタイプならオカメのスタンダードとして、どのようなものを理想とするか。
兜巾タイプなら、どのような要素がどうなっていればより理想的なのか...を考えるということです。
別の機会に書きたいと思っていますが、兜巾は、「大きさ」だけでなく、「肌質」や「膨隆感」といった要素でも評価することができます。
そういったことを、「これについてはこういうものを上とし、こういうものをより上とする」といったようなことをスタンダードとして決めていって点数化していけると、スタンダードに照らしあわせた評価ができるようになります。
スタンダードは、あくまでも評価のための採点基準を決めるということですから、評価の土台となる価値観が違えば採点基準も変わって当然です。
前掛かりが効いて、泳いでもしならない尾が良いと考えるか、泳ぐいだときに、ふんわりと丸みをもってしなり、尾先をしゃなりしゃなりと振り込んで泳ぐ尾が良いと考えるか、で、基準=スタンダードは変わります。
ここまで多様な表現をするようになった「宇野系らんちゅう」について考える場合、「スタンダード」を、それしか認めないという「排他的」なものとして定義するのではなく、我々の評価方法はこうである。という基準を明確にするための「個々の価値観の表現方法」として利用するのが良いのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、宇野氏は、今わかっている限りにおいては、自身の考えるスタンダードというものを後世に伝えられるようにして残すことをされなかったようです。
それが、そういうことに興味がなかったのか... 色々な魚を扱われていたからスタンダードを決める必要を感じておられなかったのか... 時とともに宇野氏自身の考えが常に変化しておられたからなのか... 今は知るすべはありません。
それ故に、氏の言葉の一端を持ちだして、これが宇野のスタンダードというのは適切では無いように思いますし、ほんの一瞬を写しとっただけの写真についても同じだと思います。
(短い一言でも1枚の写真でもそこから読み取れることは沢山あると思うので、それは役立てればいいのでしょうけど、あくまでも沢山の中の1つでしかないということも理解しておく必要があるんだろうなあ。と考えています。)
それよりも、今、宇野系らんちゅうを楽しんでいる人々が、共通に持っている「多様な魅力を楽しみながらより良い魚を創っていく」という部分を尊重し、自分なりの「スタンダード」を表現し、多くの人が「いいね」と言ってくれるスタンダードを考えていくことが、我々世代の努めなのではないでしょうか。
猩々と面かぶりを1つのスタンダードだけで残し伝えていくことは不可能です。
猩々には猩々のスタンダード、面かぶりには面かぶりのスタンダードが必要ですよね。
そのようなスタンダードを多く作っていき、多様な魅力に満ち溢れる宇野系らんちゅうを残していけるといいですね。
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